家族ケア

著者:田上克男氏
NPO法人 SIDS家族の会 近畿支部代表

         

 「涙 sound of silence」

Tさんは、上半身を少し起こしたベッドに横たわり、かろうじて動く左手をゆっくりとAさんに差し出しました。Aさんは差し出された彼の手を微笑みながら握り、顔を見つめました。
Iさんはある病院に長い間入院している患者さんです。Aさんはその病院に勤務している女性で、半年ほど前に、次男を生後10時間ほどで亡くしています。彼女は赤ちゃんを亡くしたあと、ずーっと外出も出来ずにいたのですが、患者さんの前では決して涙を見せない覚悟をして、この日やっと職場に復帰したところです。

「お久しぶりです。ご心配おかけしましたね。勝手をしてすみません」
Tさんは、Aさんの手をゆっくり握り返します。普通の人の何倍もかかる彼の動作に、Aさんは付き合います。やがてTさんの目から涙がこぼれてきたことに、傍にいた彼の妻とAさんが同時に気付きました。Tさんは「ウン、ウン」と言っているように、ゆっくりうなずいています。Tさんが無言でうなずくのを見て、Aさんは不覚にも泣き出してしまい、それにつられてTさんの奥さんも泣き出しました。
Tさんは、ほぼ全身が動きません。当時事情があって長い入院生活をしていた方ですが、もう数年間症状は変わらず、回復の見込みがほぼないことは、本人も家族も充分承知しています。変な言い方ですが、Tさんはそのことを充分悟っています。
このときTさんは、おそらく自分のためではなく、ただAさんのために泣きました。しばらくの間、女ふたりはおいおい泣き、きわめて遅い動きしかできないTさんは、表情も変えず、静かに少しずつ涙を流すのでした。

Tさんは事故による頭部の外傷によって、言語や運動機能の多くを失った人で、Aさんとは数年来の付き合いです。Aさんは主任という立場にありましたが、訓練や指導をするというより、Tさん夫婦とは時に友人のような接し方もしていました。Aさんはまだよその赤ちゃんの泣き声どころか、猫の鳴き声にも反応しておっぱいが出てくる状態で、心も体も癒えた状態ではありませんでした。この時期は、社会復帰を徐々に始めたところです。この日、病院の主だった人たちや関係者に挨拶を済ませ、冗談が言い合えるTさん(ちゃんとした返事はありませんが)のベッドサイドに行ったのです。
そして涙を見せない訓練をつんだはずのAさんは、馴染みのTさんが見せた初めての涙をきっかけに、思いっきり泣きました。ところが泣いてみたら不思議なことが起きました。恥ずかしい気持ちの一方で、張り詰めていた心がふにゃふにゃと緩んで軽くなるのを感じました。そうですね、開き直ったのでしょう。彼女は新しい世界に入りました。
 一般的に、涙は見たいものでも見せたいものでもありません。医療の専門職の方は、患者さんが「泣くこと」には慣れていらっしゃるでしょう。でも、もしかしたら、慣れきっていらっしゃいませんか? また反対に医師や看護師が患者さんの前で泣くことについては、どうお思いなのでしょうか? 一般的には、「泣いてはいけない」が正解でしょう。
 SIDS家族の会では、2003年に遺族を対象に、あくる年に全国の産科・小児科の病院と保育所を対象にアンケートを行いました。赤ちゃんを亡くした遺族や、赤ちゃんの遺体への対処の仕方などについてのアンケートです。遺族の声からは、医療職の方の言動が遺族の心を大いに救ったり、反対に傷付けたりする場合があることがわかります。またここでは詳しく述べませんが、医療者側と遺族の間に横たわる溝のようなものの存在も、示唆されています。
このアンケートでも、また普段私たちが遺族に聴く話のなかにも、『涙』のことが述べられたものがいくつかあります。
〇「結婚も出産の経験もない若い看護師さんが、赤ちゃんを亡くした私にどんな言葉をかければいいのか、何をしたらいいのか分からなかったのでしょう。何も言わずに涙を浮かべ、ただ温かい紅茶を出してくれました。その紅茶が、どれだけ私の心に温かく染みたか・・・」
〇「以前の担当の先生がわざわざ来てくださり、『僕は残念でなりません』とだけ言って、あとは泣かれました。あの涙は本当にうれしかったです」

 ほかにも『涙』が、遺族の心を救ってくれたという話を、私たちはたびたび聞いています。一方、その遺族自身が家族の事情や社会の慣習から、充分には泣いていないことがままあります。前回、父親の「自分がいつまでも泣いていてはいけない」という「がんじがらめ」のことを述べましたが、そんな思いが父親だけでなく家族全員を縛り付けていることがあります。例えば赤ちゃんと一番歳の近い遺族である兄弟も、「自分の涙がお父さんやお母さんを悲しませる」という思いを(自覚していないかもしれませんが)、時には強く持っているものです。
ビフレンダーは、遺族の皆さんに「泣く」ことをお勧めします。有名な詩『千の風になって』は、「私のお墓の前で、泣かないでください」と言います。しかし私たちは遺族の方たちに「たくさん泣いてください。涙は抑えないでいいんですよ。泣く場所がなければ、私たちが提供します。ここにいる人は、みな同じような経験をした人です。だから誰にも遠慮はいりません。どうぞ思いっきり泣いてくださってかまいません」と言っています。遺族同士が集まって思いを語り合う「ミーティング」での自己紹介では、話すほうも話を聞いているほうも、大概は泣いています。泣くことを頑に拒んでいる人には、先のような文言を述べることがあります。結婚式や告別式では、プロの司会者が涙を誘う演出をしてくれますが、それとは違います。涙は自然に流れ落ち、それで何かが流れ落ちていきます。
涙は計算して利用すべきものではありませんが、かといってどうしても避けねばならないものでもないと思います。
後にビフレンダーになったAさんは言いました。
「百の慰めの言葉より、あの無言の言葉と涙に救われました。きれいな言葉よりも、音のない声が心に響くことがあるということを、言葉を失った人に教えられました」


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