2001心肺蘇生法普及大会in中濃に参加して

岐阜県立中濃高等学校 生活文化科3年 土屋 裕之  2001年10月

 

   僕はこの大会に参加しようとした理由は、もっと知識を深め人の役に立つ人間になりたいと言う、気持と思いがあり参加しました。
   昨年の5月18日に学校で、「普通救命講習」があり参加しました。学校で講習を受けたのは、心肺蘇生法と大出血時の止血法を学びました。
   講習の中では、心肺蘇生法をどのように行ったらいいかと大出血時の止血法をどのように行ったらいいかを、救急救命士の先生が、人形を使って講義や実習を僕も行いました。
   僕は誰かが倒れていたら自分から進んで、心肺蘇生法を勇気を持って行えるよう講義や実習で学んだことを生活に生かしたいと思います。
   中学2年生の時、父を事故で無くした僕にとって人の命を救う技術に、真剣に取り組みました。
   とにかく、落ちついて正確に行えば、人の命を助ける事が出来るし、1分1秒を争う時間との戦いと、とっさの判断が大切だということを学びました。
  今年の2月18日のことでした。 祖母はいつものように朝早く起きて、いつもとかわらない生活でした。ふと気がつくと祖母のお風呂がいつになく長いので、心配して見に行った母の「おばあちゃんが倒れている!」という大声が聞こえ、僕はすぐにお風呂場にかけつけました。その時は、まず落ち着こうと自分に言い聞かせました。亡き父に代って僕がしっかりしなければなりません。
   浴槽の中にいる祖母は、あごが上がっていたので、学校で学んだ心肺蘇生法を思いだしてすぐに浴槽から引き上げ、呼吸を考えました。
   ほとんど息はありませんでした。とにかく僕の頭の中は、心肺蘇生法しかなくて、母親に心臓マッサージをやるように指示し、僕は人工呼吸を行いました。
そして、妹には、救急車を電話で呼ぶように指示しました。
   その間も僕と母親は一生懸命に、二人法の心肺蘇生法を続けました。救急車が自宅に来るまで、何とか意識を取り戻してほしいと願いながら、無心に続けました。救急車が到着しても、僕がなんとかしなければいけないという気持ちでいっぱいでしたが、救急隊員の機敏な動きに圧倒されました。早々に担架に乗せて、病院へ急ぎました。病院へ行く途中は、少し息を吹き返したような気配もあり、脈が少し動き、僕は祖母が助かるかすごく心配しましたが、反面もう駄目かとも思っていました。祖母の命から心肺蘇生法の大切さ、大変さがわかったし、命は尊いと言うことも学びました。
   今回の祖母の事で、学校で学んだことが、家族のため、人の為に役に立つことが出来ました。この体験が僕の将来に役に立つと思います。
   亡くなった祖母・父親の分まで家族が協力して生活して行きたいと思います。ひとりひとりの命の大切さを感じて精一杯頑張りたいと思います。
   この大会のオープニングセレモニーでは、中学生が心肺蘇生法について発表をしました。その時、思った事は、真剣に人の命のことを考えていることが、分かったし感動し た作文でした。
   心肺蘇生法を正確に出来るようにしたいからこの大会に参加して、もっと正確に落ちついて行えるようにという気持が、ありました。それに気道異物除去法は、学校で習いましたが、僕は異物除去法でもっと知識を深めたいから、この大会の実習で知識が深まったと思います。
   僕はこの様な経験を積み重ね勉強して、人の為社会の為に役に立ちたいと思いました。参加してよかったです。